残響

保坂和志『残響』を読んだ。自己と他者の距離や関わり方について、性格の違う登場人物の存在を用いて、複数の視点で語られている。作者は、自己が他者に向ける「想い」という形のないモノの輪郭を執拗なまでに探ろうとしているように感じた。その探る手つきの軌跡が記録されたこの作品は、僕を深く深く思索の渦に巻き込む。自分と相手、そしてその間に佇む「第三者」の存在が自分に齎す影響は、世界の複雑さについて考える上で必要になってくるように思った。


■テレビの画面が時々突然、真っ黒な中に一筋の細い横線だけになる。その細い線をじっくり見つめながら首を縦に早く振ると、写っている画像が見える。なんとも不思議だが、きっとその細いせんの中に画像を構成する成分が詰まっているのだろう。つまり画像が圧縮されていて、首を振ることによって残像を作り出し成分がばらけて通常の画像が見える。という、こんな具合だ。しかしそんなことばかりやっていると頭はくらくらするし首は痛い。楽しいけど程々にしよう。

■それにしてもこの話、前述した保坂和志『残響』を読んで考えたことと微妙に関わってくるような気がして、わくわくしている。