■桜が散って、なんとなく落ち着いた気持ちになるのはなんだろう。桜が嫌いなわけではない。ただ、満開の桜を見るとこころがざわつくのだった。

■庭には植物が伸びてきており、ながめるのがたのしい。あれはなんという花だ、と妻にひとしきり聞く。

■ぐんぐん成長していく娘と接して、映画「PINA」を観て、からだを動かす現場仕事の毎日にあって、身体について考える。娘を風呂に入れると湯をパシャパシャと一心不乱に叩く動きはどちらかといえばぎこちない。それは、自分の腕を動かすということに意識しているように見え、身体の発見があるようだ。「PINA」ではピナ・バウシュのもとで踊っていたダンサーたちのダンスが堪能できるのだが、最後のほんのわずかなピナバウシュ自身のダンスのその力の抜け具合に、他のダンサーたちと一線を画していることがありありとわかり唸ってしまった。そして現場仕事では足場を上り下りするときに、作業をするときに、無理な体勢になって、どこに力を入れ、どこの力を抜くかによって身体の疲労がまったく違うことに気づく。

■それにしても最近はとにかく眠い。午後10時ころにはうとうとし始める。そして早くに床につくのだが、ぐっすり朝までというわけには行かない。眠れないということはないのだが、2度3度、目を覚まし、娘の寝顔を見つめまた眠るのだった。妻はいびきがうるさいと言う。そういえば朝起きるとのどが痛い。呼吸を整えていきたい、とこれもまた身体の話だろう。


小沢健二のコンサートに行った。自分ではチケットをとることができずあきらめていたのだが、友人が誘ってくれた。二年前には浜松の公演に行ったのだった。そのときは、公演の日が近づくにつれてドキドキして何がなんだかわからなくなったものだが、今回はちょっと冷静に観ることができ、どちらの体験も忘れえぬ大切な体験であることには変わりないのだが、とても良かった。ギターを弾き歌うKOのほかには、コーラス、4人のストリングス、ベース、というシンプルな編成で楽曲そのものを存分に味わうことができた。「ある光」、「夜と日時計」がとてもよかった。そしてなによりも前回と違い良かったのは東京で観ることができたことだろう。「東京の街が奏でる」と謳い全公演初台のオペラシティでやるということについて考えている。公演前に新宿で友人と待ち合わせ、オペラシティまで歩き、PUBでビールをたくさん飲んで会場に入ったこと、公演後、新宿駅まで歩きながらコンサートについてため息まじりにことばを交し合ったこと。東京の、街が、奏でる。

■友人は公演の次の日、オーストラリアに旅立った。東京にコンサートの余韻を封じ込めたままにしておけるなんて、心底うらやましいと思った。