刺激

■昨日は休日。地下鉄で茅場町へ。地上に上がると強い陽射し。オフィス街をよろよろと歩き、古いビルの一階にあるベイスギャラリーへ。6月9日以来2回目の「On paper 大竹伸朗展」。当たり前のことだけれども、やっぱり絵は実物を観ないとわからない。「体感」すべきものなのだと思う。大きさ。紙質。絵の具の量、膨らみ。これらが切実に僕に語りかけてくる。人もほとんどいない(2回行って、たった3組の観客しか居合わせなかった)。大竹伸朗の「絵」を静かにじっくり観られることなどそうあることじゃない。一回りして、椅子に座り全体を眺め、もう一回り。気になった絵の前に佇み思いを巡らせ、また座り、外を眺める。贅沢な時間。

■けれど、楽しいだけの時間じゃない。自分の不甲斐なさを恥じることにもなるからだ。大竹さんの著作を読み終わった後もそうだ。氏の創作意欲には本当に頭が下がる。だからこそ、重要な時間。


■愛すべき奇人、アルフレッド・ジャリをモチーフにした大竹さんの「ジャリおじさん」というキャラクターがプリントされたTシャツを買う。それを着るときは大竹伸朗とジャリの魂を胸に秘めるようで心強すぎる。

■東京駅周辺を通って銀座に出て有楽町まで、ふらりふらりと歩く。この辺は本当に好きだ。わくわくする。おれも日本人だなと思う。渋谷や新宿とはやっぱり違う。昔の日本人が銀座に向けた欲望がまだまだ念となって残っているのでしょう。街のオーラが凄まじいよ。

土用の丑の日ということで銀座の名店「竹葉亭」に久しぶりに行きたいなという気持ちにもなったのだけれど、なんとなく有楽町・日比谷方面に出てしまったら鰻屋がなかなか見つからず苛々。結局時間がないので、まるで工業製品のようなハンバーガーで腹を満たす。


■ファンタスティックシアターで催されていた「セルフドキュメンタリーの逆襲」という企画を観に行く。
今回は「カンパニー松尾VS豊田道倫」というタイトル。AV監督であるカンパニー松尾さんの「豊田道倫映像集 2005(仮題)」(2005、ビデオ、60分、プレミア上映)と豊田さんのライブを観ることができた。映像は、カメラはほとんど動かず作為的な部分がなく、ただひたすら豊田さんの歌っている姿を撮っていて、まさに「ハメ撮り」という言葉がしっくり来る。映像的な面白さ(仕掛け)など何もない。ただ、豊田さんの演奏が持つ濃密な緊張感(松尾さんはそれを豊田さんの歌の音程の危うさによるものだと語っていた。それもあるかもしれない)がそのままそこにあるように感じられる。ここまでシンプルに潔く撮れることはすごいことだと思う。しかも長年カメラを持って仕事をしている人なのに。


■豊田さんのライブはいつも通りだった。いつも通りといっても安心していたわけじゃない。何を歌うのか、何を吐き出すのか、いつも通り意識を集中しドキドキしながら、発せられる音の行方を見守っていた。豊田さんが云っていた。

生々しく歌おうとすればするほど嘘っぽくなるんよ。それがおもしろい。

どんなに生々しく切実なこと過激なことを歌っていても、それを押し付けることがなく、これはただの「歌」なんだよ、「音」なんだよという姿勢が感じられて、僕が豊田さんのことを好きな理由のひとつかもしれない。

■うまく言えない。確実に言えることは刺激されっぱなしであったということ。


■映像の最後、戸張大輔氏の歌う姿が映し出され。吃驚感激した。彼のアルバム『ギター』を時々思いつくと、狂ったように聴く。

■今日、それを聴いていた。あの世界の端から端までが見えてしまうかのような音の渦に巻き込まれ、時折はさまれる甘美な歌に酔いしれていると時間なんてあっという間に過ぎてしまう。というか、一回聴くだけで50年くらい経ってしまったかのような景色の変貌には驚かされる。僕は竜宮城に行っていたのだろうか。玉手箱を開けてしまったのだろうか。