■柿ピーのピーをのどに詰まらせ咳きこむ夜。オザケンのサイト「ひふみよ」で「町に血が流れる時」というテキストを読み、スーッとした気分になる。


■この前の日曜日は高円寺のデモに行った。向日葵を持ち黄色があざやかなJさんと乗り換える三鷹で待ち合わせ、総武線に乗って座っていたら、現地で会えるだろうと思っていたMRTRくん組に遭遇。自作のTシャツがかっこよかった。デモの出発場所である公園は人で溢れていて、音楽が聞こえ、雰囲気はゆるく、お祭りに向かう気分で中に入る。Tちゃんとその友人、Jさんの友人たちと合流。Jさんがひまわりをみんなに一本づつ配ってくれて、空に突き上げ歩き出す。「やっぱり原発だめぜったい」とか「原発なくてもええじゃないか」とか声を出す。友人たちと話す。通行人に野次られる。不思議そうに眺める人を観察する(される)。警察官をじっと見る。すぐ近くで車の追突事故が起こる。先日送り出し福島に帰った一家のことを想う。タンバリンを叩く。空を見上げる。商店を観察する。いろんなことが起こり、いろんなことを考え、いろんなことを話す。そういうすべてが収穫のいい時間だった。脱原発という考えを広めなくては、という使命に駆られているごりごりの人ばかりではないように思った。このデモを目にして、「あ、自分と同じような奴がいる」と思ってくれたらという狙いが自分は少なからずあった。だからぜったい恐い顔をして叫ぶことはしないようにした。まあ、そういうふうにはならないデモであったわけだけれども。そういう風通しの良さがあるからこそ、目を逸らすことなくぼんやりと見つめ、ふとしたときに思い出し、原発について調べてみようということになればいい。なにかを嗅ぎつけて、これは参加したらおもしろいかもしれない、という風になればいい。