■水餃子と焼そばを食べてハイボールを飲む夜。今夜は寒くなくていい。雨戸閉めずに寝てみようか。

■火曜日の深夜、再放送で観た「ブラタモリ」の六本木の回で、再開発を嘆いたタモさんが最後に「土地の記憶」という言葉をぽろっと口にして、私はなんとも感じ入るところがあったのだった。

■昨夜、ぽつぽつとゆっくり読んでいた小林信彦荒木経惟『私説東京繁昌記』を読み終える。高度成長、東京オリンピックによって破壊された東京をそこで生まれ育った小林信彦はどういうふうに感じてきたか、そしてそれらの思いを抱えて再びその土地を訪れる様子が丁寧に記されている。

記憶を確認するために、改めて須賀神社へ行ってみた。
夜しか歩いたことがないので、八月の白昼、しかも炎天下となると、勝手が大分ちがうのだが、新宿通りから南へ、須賀町と若葉町の間の円通寺坂をゆっくりと下ってゆく。広い坂道は左に曲っているのだが、ごく自然な曲り具合にはなにかしらの性的な感じがあって、歩くことじたいが快い。風景の中において身体が透明になるような気さえする。
「第四章 四谷三丁目付近」より

変わってしまった東京にたいする苦々しい思いが随所に散りばめられていてこちらに痛切に響いてくるとともに、上のような文章が現れれば、そこで語られる町に実際に行って今はどうなっているだろうと確かめに行きたくなってくる。この本の元本は92年の発行。それからもう20年経とうとしている。

■今の家に越してきてふた月ほど経った去年の秋口に急にあらわれて外壁のコードにからみつき立派な花を咲かせた朝顔から先日種を収穫。あたたかくなったら蒔こうと思う。そして朝顔観察日記をつけるのだ。「土地の記憶」という言葉がよぎる。