■昨日は久しぶりに予定のない休日。朝、雨が降っている音を聞きながら目覚めていながらもふとんの上をごろごろ。で、何をしよう、あまり遠出はしたくないと、吉祥寺をうろうろし古着屋、古本屋をざっとまわり、ユザワ屋で大葉とパセリの苗を買う。国分寺へ帰る途中、花小金井で古本漁るために武蔵小金井で下車。街がざわついているなとおもったら歩行者天国、そして神輿とすれ違う。バスに乗り、雨上がりの晴れて光る道を二人用席にひとり腰掛け眺めていたら、ずっとこのバスに揺られていたいと思った。帰宅し夕方、DVDで『ウディ・アレンの影と霧』を観ながら、枝豆とビール。すべてを明かさないまま全部物語ですよと宣言するような終わり方がいい。私はあらゆる作品に整合性、起承転結なんか求めていない。いや、まず作品になにか求めるということは不純ではないかと思っていたりする。自分の触れたことのない感触(あいまいな語だ)やわけのわからなさにぶち当たったときに感じる興奮が私のものごと(作品)に対するときのおおきな歓びである。とこれはとくに『ウディ・アレンの影と霧』に関してのことではないです…。

■ひさしぶりに小説を読んだ。それは多和田葉子「ゴットハルト鉄道」。言葉から膨らむイメージ(感触)が幾重にも重なり、見たことのない(見えない)景色が広がっているように思った。