awayama2008-01-31

■今月ももう最後の日だというのにこの日記の更新は四回目という体たらく。これはパソコンのある部屋が寒いという理由が半分以上を占めているだろう。


■27日日曜日に頭を丸め、首の後ろがスースーしてちょっと寒いなと思いながらも家でビールをグイグイ呑みながら青木淳悟『四十日と四十夜のメルヘン』新潮社の表題作を興奮して一気読みしソファでうたた寝したら、それから風邪っぽくなってしまい、次の日念願の談志をモーローとした頭を抱えて観に行く。


練馬文化センターでの「立川談志一門会」。出演と演目は志の吉「看板のピン」、談笑「居酒屋・改」、談春「替り目」、談志「源平盛衰記」。談志の「わたしは落語に帰属しているのではなく談志に帰属しているのだ」という発言が心に残る。まさにそういうことで私は「談志」を聴いていた。はっきり言って昔のように声は出ないしスピードもない。しかしそんなことはまったく悪ではなく、落語家はただただうまく噺を演ればいいのかというとそうでないことが今回よくわかった。言葉に詰まり、いくつもの横道に逸れ、さらに逸れる。その横道は突拍子のない気まぐれな物言いに聞こえるが実はとても鮮やかな「現在」の批評になっているのだ。それはただの能書きや教訓の類ではなく、談志という人間はこう見るのだがあなたたち(観客)はどう見る?という謙虚さ、そしてもっと他になにかあるかもしれないという向上心(?)をともなったものだから恐れ入る。とにかく談志は満足していない。安住していない。観ていてゾクゾクした。



■今日は吉祥寺をほっつき歩き本を買いコーヒーを飲む。初めて入った喫茶店だったのだが気に入った。BGMの音量が小さすぎず大きすぎず、狭すぎず広すぎず、隅に他愛もない雑誌が置いてあり、珈琲は安すぎず高すぎず(400円)、不味すぎず美味すぎず(失礼)というありそうで実はなかなかない絶妙なバランスのお店。ふらりと何の気負いもなく入れるので愛用するかもしれない。


■家で鰤の照り焼き、ささみとブロッコリーの炒め物、なめこの味噌汁、茶碗蒸しを食べビールを飲み借りてきたDVD『笑う超人 立川談志×太田光』を鑑賞。このふたり、滅茶苦茶なことをやってしまう反面、厳しい批評眼を他者だけでなく自分にも向けてしまういびつな感性の持ち主であるところが共通しているように思い、だから私はこのふたりが好きなのだなと思う。そして談志が太田に「何か」を託すように話す様子はとても感動的だ。

笑う超人 立川談志×太田光 [DVD]

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