セキララ

■さあ日記だ。


■昨夜、夜中に、午前三時くらいか、チーズが乗った鮭のホイル包み焼きを食べたためすぐには眠れず、明るくなってから床についた。それで起きるのが遅くなってしまって午後一時。起きても腹は減っておらず、ボーっとしたまま部屋で過ごす。宮藤官九郎の昼ドラを初めて観た。やっぱりおもしろいけど、ちょっとキャストがイマイチな感があった。

■洗濯をして四時頃駅前に出てタリーズで珈琲。昨日買った「芸術新潮」2005年9月号の特集「写真よ、語れ!」をおもしろく読む。写真は好き。ただ、僕はアラーキーだとか、牛腸茂雄だとか日本人の写真家の作品を主に好んで観ていて、海外の写真家の作品はあまり知らなかったが、これを読んで興味を持つこととなった。大まかな写真の歴史、流れ、がQ&A方式で語られるよくわかるとてもいい特集だった。答えているのは港千尋。彼の著作は持っているがまだ未読。伊藤俊治との共著『熱帯美術館』を持っているんだった。最後の章で紹介されているスロヴェニア出身でパリ在住の写真家、ユジェン・バフチャルが特に気になった。ほんのりと浮かび上がる白が美しい、ということは黒の効果が素晴らしい、モノクロ写真が掲載されていた。彼は目が見えない。考えたこともなかった。目が見えない写真家。さかなの「Locomotion」の歌詞を思い出す。

永遠が私たちの庭に入る夢を見た
よみがえる少しずつ聞こえてはこないだろうか
足を失ったダンサーのステップ
指の無いピアニストのメロディが
言葉を 失った 詩人たちの数々のうたが
そして人々は鳴り響く鐘の音と共に知る始まり
長い  ロコモーション


■夕方、自宅に戻り昨夜Xから貰った惣菜を美味しくいただき、外出。帰宅する会社員たちの波に逆らって歩く駅までの道はなんだか気持ち良い。自転車置き場では皆乗っていくのに僕は置いていくひとだ。


■中央線で吉祥寺へ。古本屋を覗くが何も買わず、啓文堂書店へ。ここは意外と詩集、詩関連の本が充実しているからよく立ち寄っていろんな詩集に目を通す。でも僕は新刊で詩集を買ったことが無い。ただ、それはいつかやらなければと思っていた。少し大げさだけれど、僕にとって詩集を買う、しかも新刊で買う、というのは特別な行為だ。初めて、新刊の詩集を買う。小笠原鳥類『テレビ』。思潮社から「新しい詩人」というシリーズが最近刊行された。その一巻だ。小笠原鳥類という若い詩人のことは音楽家宇波拓のブログで知って、それから×小笠原鳥類というサイトを閲覧するようになり好きになった。言葉の跳躍力が素晴らしく、脳内が掻き回され、読んでいて楽しい詩を書く人だ。この本が刊行されたのを知ったのは佐々木敦の日記を読んだからだ。最近特に佐々木敦の動向、文章に注目している。氏のレーベルから豊田さんのアルバムが出たし、これから中原昌也(ヘアスタイリスティックス名義)の作品も出す予定らしいし、慶応の授業に出るゲストは僕も興味がある人ばかりだし、なんといっても、詩を読む習慣があるというところにとても好意を抱く。ちょっと前にやっていた文學界での文芸時評もひそかに楽しみにしていたし。アップリンクで定期的にやっていた対談イベント(中原昌也菊地成孔竹村延和の回に行った)の再開をものすごく希望!この日の日記には現代思潮社の編集者で美学校の設立者の川仁宏についても書かれていて、これはとてもびっくりしたし嬉しかった。佐々木敦が日記で書いている中野テレプシコールでやった2002年秋のCD発売記念ライヴには僕も行ったし、川仁宏のCD(ボイスパフォーマーでもあるのです。ボイスだけじゃないけれど、なんと言えばよいか。音を出す人)は時々聴いて感銘を受けている。


■下北で友人と待ち合わせてシネマアートンへ。途中、「古書 ビビビ」で金井美恵子『単語集』講談社文庫をカバー痛み有りのため格安の250円で買う。これめずらしいよなあ。

松江哲明監督のAV作品『セキ★ララ』を鑑賞。AV業界に生きる「在日」を撮ったドキュメンタリー。監督本人も在日コリアンである。監督は彼らに自分のアイデンティティーは何かと問う。その問いは観ている僕にも問いかけられるようで考えこんでしまう。知らなかったのだが今日は松江監督の挨拶があり、おまけに『童貞。をプロデュース』も上映。こちらはただただもう面白くって笑った。映画館でこんなに笑うのってあんまりないよなと思った。この『童貞。〜』は佐々木敦の慶応の授業でも流して学生達に大受けだったというのを知っていて気になってはいたのだが、まさか今日観れるとは思いも寄らなかった。でも、自分が童貞のときに観たらどんなふうに感じただろう。