神谷バー

■酔っ払いで帰宅。大きな封筒が届いていて、何かと思って送り主を確認すると筑摩書房から。封筒の真ん中に小さく一言「例のちくま文庫できました」とあり、おもしろい。そう、非売品の『ちくま文庫解説傑作選』に応募していたのだった。突然のうれしいお出迎え。ますます気分がよくなる酔っ払いはわたし。


■今日は友人2人と昼から新宿に待ち合わせて有明へ。国際展示場で何かやっているようでスーツ姿の殿方たちでにぎわう中、カジュアルなかっこうの3人が闊歩して向かう先は水上バス乗り場。ずっと計画していた水上バスに乗りに行くという遊びが今日ようやく決行されたのだった。しかし寒い。昨日とは大違い。曇り空、風強く、冷たい。フードを被って水上バスの屋上へ。船に乗ると妙に胸騒ぎがしてはしゃいでしまうのは何だろう。寒さ忘れて日の出桟橋までずうっと屋上でびゅうびゅう風に吹かれながら眺めていたのは東京のビル群。東京タワーも見える。なんだか大文字の「東京」を見た気がして奇妙な感覚であった。海の上から、つまり、「外側から見る」東京は僕の知らない東京のようで興奮した。


日の出桟橋からは乗り換えて浅草へ。ここからの水上バスは屋上に上がれないのでおとなしく屋内のベンチに腰掛けウトウト。いくつもの橋をくぐり両国のあの有名なうんこが載っかったビルを過ぎれば浅草。この後の新宿での飲み会の時間が迫っていて、30分くらいしか滞在時間がなかったのだが思わずふらりとずっと気になっていた老舗の飲み屋「神谷バー」へ。混雑した店内をよく見るとほとんどが高齢な方々で賑やかに話しながら飲み食いしている。とても気持ちがいい光景だなとウットリする。席を探してキョロキョロしていたらお客のじいさんが「こっちにあるよ」と身振り手振りで示してくれる。この瞬間、初めて入る店特有の緊張感から開放されて、もうこっちのものだと意気があがる。入り口前にあるカウンターで食券を購入してウェイターに渡すという変わったスタイル。昔はよくあったのだろうか。なんてたって創業は明治13年。たぶん今まで行った飲み屋で一番古い。あさりのバター蒸しと川海老のから揚げ、湯豆腐、メンチカツをアサヒの黒(小瓶)と共につつく。すべてが心地良くニヤけてしまう。ここ、住所は浅草1丁目1番1号。創業当時のこの住所に対する興奮はどんなものだったのだろう。今とは比べ物にならないものであることは確かであろうが、僕はやっぱり興奮した。浅草は東京人の「今の」遊び場ではなくなって「キッチュでレトロな」観光地になってしまったことを憂う。しかし、よく考えてみれば僕も言ってみれば観光で来ていることになるよな。そこから脱却するにはふらりとちょくちょく遊びに行くことだよな。神谷バーにまた来ようと3人で固く決意する。

神谷バーというと有名なのが「デンキブラン」だ。店に置いてあった小冊子「デンキブラン今昔(一)」から引用。

神谷バーデンキブランと名付けられたカクテルが登場して、およそ百年の歳月が流れています。
その間デンキブランは、浅草の移り変わりを、世の中の移り変わりをじっと見てきました。ある時は店の片隅で、またある時は手のひらのなかで ― 。
電気がめずらしい明治の頃、目新しいものというと”電気○○○”などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めていました。さらにデンキブランはたいそう強いお酒で、当時はアルコール45度。
それがまた電気とイメージがダブって、この名がぴったりだったのです。
デンキブランのブランはカクテルのベースになっているブランデーのブラン。そのほかジン、ワインキュラソー、薬草などがブレンドされています。しかしその分量 だけは未だもって秘伝 になっています。
あたたかみのある琥珀色、ほんのりとした甘味が当時からたいへんな人気でした。ちなみに現在のデンキブランはアルコール30度、電氣ブラン<オールド>は40度です。
大正時代は、浅草六区(ロック)で活動写真を見終わるとその興奮を胸に一杯十銭のデンキブランを一杯、二杯。それが庶民にとっては最高の楽しみでした。もちろん、今も神谷バーは下町の社交場。
仕事帰りの人々が三々五々、なかには若い女性グループも、小さなグラス片手に笑い、喋り、一日の終わりを心ゆくまで楽しんでいます。時の流れを越えた、じつになごやかな光景です。
明治・大正・昭和・平成、時代は移っても人の心に生きつづけるデンキブランデンキブランは下町の人生模様そのものです。一口、また一口とグラスを傾けると、時がさかさに動いて、見知らぬ 時の見知らぬ人に逢えそうな、そんな気がしてくるのです。

■いい時間を過ごした。お供の2人にも感謝だ。3人とも神谷バーに滅法惚れた。

■さて、その後は新宿で5人加わっていまさらの新年会。個室でガヤガヤと飲んで食って喋る。最近多いシャレた居酒屋といった風情の店で、こういうところは大抵、料理がちょこっとしか皿に載ってなくてしかも味も大したことなく値段が張るというイメージがあるのだが。ここは相応に美味い料理を出してくれて安心した。と書くと生意気だな。お通しから最後の抹茶と和菓子まで、隅々いい仕事をしているなあと思いながら宴は終わった。

■帰ってきて、冒頭に書いた届いていた『ちくま文庫解説傑作選』をちょっと読もうと目次を見ると坪内祐三「贅沢な旅」とあり、先ず開いてみたら驚いた。それは小沢昭一の『ぼくの浅草案内』の解説だったからだ。それは坪内さんが『ぼくの浅草案内』を鞄に入れて出掛けた浅草旅行の思い出とそこから湧く随想からなる清々しい文章だった。そしてそれはこのちょっとした偶然により一層輝くように思うのである。