もうひとつの季節

■夕方雨に打たれ、体が冷えたので夕飯に豚汁を食べる。毎食何か温かい汁物(スープ)を食べたいと思っているのだがなかなかそううまくもいかないものである。温かい汁物が美味しい気候になってきた。



■今日は猫に出会えず。「にゃあ」も聞こえず。が、保坂和志の『もうひとつの季節』*1の中の猫の茶々丸に思いを馳せていた。読了。珍しく、ちょっとした筋というか「終わり(オチというか…)」があって、最後は見事に意表を突かれた。といってもミステリー的な大どんでん返しとかがある訳じゃあないけれど。で、やっぱり保坂氏の小説恒例の哲学的(こういう言葉は使いたくないけど便宜上敢えて)な対話があって、その心地良さは何だろうと考えてみると、やっぱりそれは「対話」であるということが重要なのだと思った。作者が登場人物の姿を借りて行う単なる思想のひけらかしとは明らかに違う。氏の書き方は、読み手もその「対話」に参加しているような気分にさせるし、ある考え方に至る経過がよく見える。それはとても読み手にとって刺激的だ。

■良く考えてみると、道を歩いていて出会う生物といったら、先ずは人間で、二番目が猫だということに気づいた。人間にもいろいろな人間がいるのと同じように猫にもいろいろな猫がいる。そういう認識はとても重要で、今まではなんだか漠然と猫は「猫」だと思いがちだった。猫は生物上は「猫」だけど名は「猫」ではない。つまり、猫にだって「個」はあるのだから、猫に出会ったら「猫」だと認識するのは失礼で「猫であるそいつ」だと認識することにしようと思った。そういうことを今までおろそかにしていたような気がする。

■何だかややこしくなってきてしまった。

*1:

もうひとつの季節 (中公文庫)

もうひとつの季節 (中公文庫)