笛吹川

■昨夜はたくさん飲んだあと、ねっころがって本を読んでいたらいつの間にか夢の中で、日記を書くことができなかった。

■昨日は休日で久しぶりに家に篭って部屋の片付けをしようかと目論んでいたんです。
でもやっぱり天気もいいし出かけてしまったのです。
どこへって?そりゃあもう聞くのは野暮ってもんよ。
行くんだよ。古本屋へ。

■先ずは荻窪S書店。中央公論者の『現代の詩人10・飯島耕一』。函入りで、その函のコラージュによる挿画がかっこいい、と思ったら装丁は安野光雅じゃないか。こういう感じのもあるんだと感慨深い。安野氏の『旅の絵本』は子供の頃から愛読している。で、とにかく「詩」が「詩人」が気になるのだ最近。瀧口修造コレクション展に行ったのがきっかけとなって、特にシュルレアリスムに括られる詩人たちの作品を読もうと思っている。
あとは『ポウ小説全集2』とブコウスキー『詩人と女たち』。ブコウスキー、一時期夢中だったのを思い出した。

■で、線路を挟んで反対側のブックへ。森茉莉『貧乏サヴァラン』(今日6月6日は命日です。太宰の墓所で有名な三鷹禅林寺にお墓があります。追悼の意を込めて彼女の本を開きました)、レイ・ブラッドベリ華氏451度』(トリュフォーの映画を昔観たけれど、原作のこれは未読だったので)。

■ところ変わって三鷹のS堂。いつものコースだな。なんとなく岡谷公二アンリ・ルソー 楽園の謎』。中公文庫の絶版で安くはなかったけれど、惹かれて買ってしまった。アルフレッド・ジャリとの関係について一章費やしていたからなんだけど、実は。ジャリについては今ちゃんと書くことは難しいけれども僕がずっと気になっている人だ。以下引用。

アルフレッド・ジャリ―十九世紀末から二十世紀はじめの文壇を競争用自転車に乗って駆け抜けた詩人、あらゆる価値の否定者、ダダより前のダダイスト、煙草の火を借りようとした男に、「どうぞ」と言って、いきなりピストルを発砲する奇行の持ち主、「絶対の愛」の探求者、おのれを創造した「ユビュ王」という怪物に自分を合体させようとした男、アブサントによる緩慢な自殺者…。

■夜は久しぶりに実家に行き、チラシ寿司をいただく。
実家に行くといつも思うのは、段々と親の本棚が「見える」ようになってくるということだ。同じ本を買っていたりする。


■本日は一日晴れて気持ちがよく洗濯日和。選択は嫌いじゃない。

深沢七郎笛吹川*1読了。甲府と石和の間を流れる笛吹川の土手の小屋に住む一家を六代にわたって描いた長編。「お屋形様」(武田家)との関わりによって、家族が次々に死に、殺される顛末が描かれているのだけれど、深沢さんの筆致は淡々としていて、心理や感情を排して傍観者として見つめている。そのヒューマニズム臭くないところがとても好きだ。生きていく上で生じるいざこざやズレを人間の大きな流れの中にある「営み」として無言のうちに肯定されているようで緩やかな気持ちになる。

*1:

笛吹川 (新潮文庫 ふ 5-2)

笛吹川 (新潮文庫 ふ 5-2)