風呂

■今日の収穫。
夏目漱石虞美人草』(柄谷氏の解説が読みたいので新潮文庫版)、保坂和志『プレーンソング』、『文藝・阿部和重特集号』(氏の小説を僕は同時代に生きる作家の中で一番読み込んでいます)。


■風呂で本を読むと集中できて良い。紙が湿ってぺらぺらになるし、本を持っている手が冷たくなって湯に浸けたくなるけれど、額に汗を滲ませ体を赤く染めて、今日もある短編をひとつじっくり読んだ。風呂にいると余計なものが周りにないのが集中できる要因だろう。部屋にいるとCDやレコード、本、お菓子、テレビ、携帯電話、つまりそれは「情報」に囲まれているため、触れたくなってしまう。そういえば朝メイルが来ていたな、とか、こんな本買ったっけ、あのCDどこだ、ちょっとギターでも弾くか、などなど様々な「情報」が手を伸ばせば届くから、あちらこちら首をふりふり集中できない。
集中できる要因としてもうひとつ考えられるのが、小さな部屋である浴室の中のさらに狭く囲われた湯船の中、というところが、その圧迫感(と言っても心地良いもの)から僕の体を縛りつけ、意識をひとつに留める効果があること。

■子供のころ、よく風呂に潜って遊んでいた。お湯を一杯にして潜って湯船の蓋を閉めて、その圧迫感の非日常性をおもしろがった。

■そういえば最近潜っていないな。授業には潜っているけど。
水中に。
潜るという行為は僕にとって今も昔も非日常。ちょっとしたいい旅夢気分を味わわせてくれる。今度苦しくなるまで潜ってみよう。



■風呂上り 赤い身に染む 缶ビール