さっき風呂で『群像5月号』をパラパラやってたら多和田葉子さんの「もの が たり ない」という詩が目を引いた。全部ひらがなで書かれていたためだ。読んでみるとこれがすごく良かった。言葉が色々なしがらみや思惑から開放され裸にされていて、ひとつひとつの言葉について考えさせられた。全部ひらがなだし言葉自体は小学生でもわかる平易なものだが、簡単に読み進めることをためらってしまう。裸にされた言葉に対して僕はどんな服を着せたらいいのか?ということを考えて読んでいると、ひとつの言葉から多様な拡がりが出てくるのだ。