■午後二時四十五分。昨夜バイト後国立に赴いて小・中学校で仲の良かった友人たちとの飲み会。年に一度くらい行われる大切な会。スーツ姿がちらほら。そうかそうだよな。


■午前三時くらいまで騒ぎ飲む。バカ話に花を咲かす。思い出話も少し。やっぱりここは原点だなと麦酒ジョッキを傾けながら思う。みんな変わらない。僕も変わってないらしい。そんなことを言い合う。


国分寺まで歩いて帰る。タクシーに乗っても良かったが豊田道倫を聴きながら歩きたかった。飲み会の始終を反芻し苦笑いしながら歩く。車も少なくひともいない道。そういえばすれ違ったのはふたりだけだったか。

■四時すぎに帰宅。妙なさわやかさを纏った女四人の朝のニュース番組を缶ビール一本と久しぶりのカップラーメンとともに鑑賞。風呂に入って寝る。



■最近、買った、読んだ本を記しておく。ユリイカ2006年11月号「特集・大竹伸朗」。これは先週の水曜日に荻窪のS書店で買った。その日はKの妹が家にやってきた。夕方ににわか雨があったと記憶している。スーパーで買い物を済ませ外に出ようとしたら降り始めたのだった。たくさんの買い物客がスーパーの軒下で雨宿りをしていて、なんだかそれはとても幸福な光景だと思っていた。その夜は近所のトネリコで三人で飲み食いし、一度家に帰り甘いものを食べ、そしてKの弟が来ると今度はチェーンの居酒屋でまた飲んだ。Kの妹と弟、ふたりとも家に泊まっていった。妹はもう一泊して帰っていった。この家に二泊する人は初めてだ。ずうっと前からこの家にいるように感じられて、僕も気兼ねすることなくいつものように過ごしていた。

■本のはなしを記すつもりが脱線してしまった。まあいい。もう一度やってみるか。ユリイカ大竹伸朗号は、スタジオボイスの大竹特集号よりは数倍おもしろい。まだ全部読んでいないが、山本精一の短文と和田ラジヲの漫画と都築響一の写真(実家の茶の間の写真がいい。テレビドラマのセットのようなつくりもの感)が光っている。
町田康の『屈辱ポンチ』文春文庫を読んだ。リーダビリティー異常に高いなってんでするする読んだ。細部のおもしろさ(純喫茶「悶」とか)に目奪われつつも、文体(話術)のスムーズさに感激。落語の影響だろうって百万回言われてるとおもうけどやっぱりそうだよなあと思う。「けものがれ、俺らの猿と」の喫茶店でてんてこ舞いになるところなんか興奮したなあ。解説が保坂和志でうれしかった。
他には「新潮」12月号の中原昌也「怪力の文芸編集者」はかっこいいとしか言いようのない作品。同じことが何回も繰り返される本作は毎回微妙な差異を見つけるたびに興奮。そしてやっぱり細部のおもしろさは見逃せない(文芸誌「瓦」とか)。作品の末尾に「この作品の原稿料でサミュエル・ベケット(1906〜1989)の墓があるフランスへ行こうと思います」ってのがなんというか芸が細かいというか…。同じ新潮所収の佐藤友哉「1000の小説とバックベアード」も読んだ。久しぶりにどっぷり浸かって読んだ小説。小説に関してなにかしら思うところがあったり、小説を書きたいなどと思っているひとはこれを読んでみるといいと思う。なにか引っかかるはず。畸形の、これはとんでもない青春小説。小説を書こうとする主人公の青年が発することば「小説を書くような心で書いたら、それはもう、小説なんですから」を読んだとき、小説家小島信夫のことを想った。