あちゃらかぱいッ

■ああ…佐々木敦の今日(28日)の日記、ちょっと感動的。


■バイト後Xと落ち合って中華料理家のウーさんの作ったおかずをもらう。明日の朝御飯が豪華になる。で、終電まで麦酒を4杯ゴクゴク飲んでいい気分。酔っ払っている。


デーブスペクターが朝生に出ている。いつものように発言の最後にオチを付けるのだけれど簡単に流されてしまっている。それでも、彼はかっこいい。


色川武大『あちゃらかぱいッ』文春文庫、読了。冒頭「へんな連中たちのことを書く」と宣言して浅草でかつて活躍した芸人(ボードビリアン)たちの破天荒な生き様を描く。ぼくにとってはとても想像できない未知の世界なのだが、なぜか親しみを持って読むことができる。それはやっぱり色さんの筆力であることは言うまでもないが、彼ら芸人たちへの愛情が大きいと思うのだ。井上ひさしによる解説(ちなみに「解説にかえて」と題されている)もいい。氏は「わたしは色川さんの書く浅草もの気に入らない」と書く。放蕩にふける例外的な人間ばかり取り上げておもしろおかしく浅草のことを書いているが、「一年間もみっちり浅草の劇場の下手袖から楽屋と舞台を観察してきた」井上ひさしに言わせると、仕事を大切にする芸人がほとんどで現実はあんなものではないという思いがあったからだ。だから2人は何度も顔を合わせたが軽く会釈をするだけで言葉を交わすことはなかった。「それはおそらくお互いに「あいつの浅草は俺のとは違う」と張り合っていたせいである」と書く。色川武大の死後、井上ひさしは色川氏の仕事場に線香あげに行った際、壁一杯に並べられているビデオテープのコレクションを目にすることになる。自分の棚とそっくりだということがわかり、涙する。「わたしは舞台の袖から、色川さんは客席から、浅草を見ていた。しかしちがうのはそのことだけで、二人は同じものを見ようとしていたのだ。」と回想する。そして、けんかしてでもいいから生前に浅草について話をしておけばよかったと思うのである。
こういうどうしようもない「すれ違い」はズシリとくる。名解説だと思った。