小豆をふたつ(訂正版)
■TBS「情熱大陸」を観る。リリー・フランキーの回だ。かっこいいなと思う。肩の力が抜けるような雰囲気を醸し出しているが、発される言葉はとても鋭く、核心を突く。字の美しさにも見惚れた。メロメロになる女の子はさぞかし多かろう。
■昼過ぎ、小雨振るなか競馬場へ。いつのまにか雨は止んでいて太陽がこんにちわ。何も食べずに来たので競馬場内で食事。久々に衝動的にマックで買う。フィレオフィッシュとポテトとナゲット。マックの商品はいつも胃がもたれるのだが、今日もやっぱりダメだった。僕には合わないようだ。「じゃあ、なぜ食べる?」と問われそうだが、それは僕にもわからない。いつも「もういいや」と最後にしようと思うのだが、年に数回、衝動的に、発作的に口にしてしまうのである。ここで僕がいいたいのは昨今ブームの健康志向の食事に則ったマック批判を繰り広げたいわけではない。ただ、僕には合わない、ということだ。以前、菊地成孔がサイトの日記で、どこの何を食べての言葉だかは忘れたがファーストフードのハンバーガーかなんかを食べて、「塩と油と紙の味がした」と評していたのはおもしろかった。
■競馬はひとつだけ当ててあとはダメ。でもそれでも楽しんでいるから、おめでたいやつだ。府中競馬場は歴史はあるが立て替えたかなんかできれいな建物が並んでいるのだが、来ている人といえば多くはお世辞にもきれいとは言えない小汚いおっさん(これは別に蔑んでいるわけではありません。念のため)で、灰色などのくすんだ色のジャンパーを着ているため、建物と人のアンバランスな光景がおもしろい。あと、足元を微動だにせずに微笑をたたえてまるで人形のようにお辞儀をする案内のきれいな女の子(妙にみんな背が高い)とおっさんが同じ視界にいるのも楽しい。不思議な場所だ。
■そのあとは府中伊勢丹の日本料理屋で親戚一同との会合。真ん中に座って落ち着かず。
■帰り道に国立ユニオンでCDを物色。ちょうどいい、最近久しぶりに聴いていいなと思った高橋悠治のサティがあった。僕が持っているのと同じシリーズの2巻。79年の録音。「諧謔の時代より」と副題が付いていて、あの楽しいおかしなタイトルの小品が詰まっている。「犬儒派の牧歌」「きびしいこらしめ」「ナマコの胎児」「偽善者のコラール」「鼻メガネ」「すみ取りあそび」「いちゃつき」などなど。あともう一枚「ノヴェンバー・ステップス」が入っている『武満徹作品集』若杉弘指揮・東京都交響楽団、91年の録音のCDを買う。
■でやっぱり古本屋、というかブックに行ったわけだが、ここ最近国立店ではあまりいいものに出会えてないような気がしていて、一通り見てやっぱりダメかと思って店を出ようとして、でも最後にもういちど文庫の棚を気張らずに眺めていたら、小豆色の背表紙が見えた。そう、あの新潮文庫の復刊シリーズだ。しかもタイトルは『聖ヨハネ病院にて』上林暁だ。びっくりした。目を疑った。うれしい。同シリーズは絶版で現在では読めない作品も多くコツコツ買い集めている。特にこの小豆色シリーズの小山清『落穂拾い』*1は大好きな本で、表題作は文句のつけようがない短編小説だと思っている。そして、この『聖ヨハネ病院にて』もずうっと欲しかったのだ。実は筑摩の現代文学大系の上林暁の巻を持っているので「聖ヨハネ病院にて」は読めたわけだが、やっぱり小豆色の背表紙の新潮文庫で読みたかった。装丁冥利に尽きるってもんだ。もちろん、現代文学大系に入っていない作品もこの文庫には入っているから買わない手はない。300円。よく見ると棚に同シリーズがちょこちょこ散らばっていた。いくつか残して横光利一『家族会議』350円も買う。小豆色の背表紙が二冊、うれしい収穫だ。
*1:『落穂拾い』については2005年6月21日の日記を参照