鎌倉旅行

■日記を書かなかった五日六日と鎌倉に行っていた。時々突如として行きたくなり、早朝からふらりと鎌倉駅に降り立ちあてもなく過ごすことがあるが、今回は少し前から計画をし、しかも由比ガ浜の隣の材木座海岸を望む宿をとった。鎌倉で一泊旅行。意外とやらないのではないか。近いので日帰りでも充分に楽しめるからそんなことはしたことがなかったが、いずれ、と考えていた。


■一日目、東京はあいにくの雨。鎌倉に着いても雨。気を奮い立たせて先ずは恒例の鶴岡八幡宮へお参り。修学旅行の学生と外国人の観光客に囲まれ、観光気分が盛り上がる。外国人の観光客は白人が主だが、北鎌倉で一組だけインド人の一家を見つけた。鎌倉とインド。何か唐突な組み合わせだ。

小町通りを歩いていると客を捕えるのに必死な人力車夫に遭遇する。僕は明らかに避けて通って、おれは乗らないよというオーラを前面に出してすれ違っているのに話しかけてくる。とても気分が悪くなる。行く先に彼らがいると手前で道を曲がったりした。


■この旅行で三軒の古本屋に赴いた。それぞれ店名がいい。いつもこの日記で古本屋の名前は明記していないが、記す。游古洞、藝林荘、木犀堂。游古洞は骨董品がショーウィンドウに所狭しと並べられていて古本屋の雰囲気は感じられないが、一歩店内に入ると書物が棚から溢れ積み上げられ、掘り出す楽しみを味わえる。日本の文学関係が主で、小島信夫藤枝静男阿部昭の本など欲しいものはあったが買うには至らず。その次に向かったのは小町通りにある藝林荘。落語と料理の本が多く特徴がある品揃えだ。談志の全集など欲しいものだが手が届かず。しかし文学関係も少ないながら良いものが揃っていて、一冊塚本邦雄『連弾』を拾う。木犀堂を訪れたのは二日目だ。表紙を表にして絶妙な感覚で贅沢に置かれた中央の台が目を惹く。本への愛情が真摯に伝わってくる。いろいろ良書を眺めては棚に戻すのを繰り返していると時間が立つのは早い。角に控えめに置かれた文庫の棚から殿山泰司『三文役者あなあきい伝PARTⅠ・Ⅱ』を拾う。


■宿は夕食なしのプランでとったので鎌倉駅周辺で飲み屋を探す。地元のおやじ達が飲んでいて海の味が楽しめるようなところを探したがこれが、ない。さんざ探して、イメージとはちょっと違うが魚が主の飲み屋にたどり着く。カレイの煮付けが旨かったな。


■宿まで歩き、再び麦酒を味わいながら。一日を反芻し、次の日の予定を練る。眠る。


■雨模様の海を眺めながらぼんやりと朝食を食べ部屋に戻りまた少し眠ってしまう。目を覚ますと雨はやんでいて気分が盛り上がる、焦るようにチェックアウトし、海辺を散歩。殺風景な砂浜だったが陽が出てきたこともあってひどく輝いて見えた。

■通称苔寺として知られている妙法寺へ行くも、門が閉まっていて地元のおばさんの同情をいただく。残念だったけれど全体的には気分は良い。古くからある家々や植物、鳥、すれ違う人などを眺めて住宅街を歩いているだけで気持ちが良くなってくる。あの「鎌倉らしさ」の正体は何であろうか。気づくのは、高い建物が少ないということ。住宅が密集しているにも関わらずスーパーやコンビニが極端に少ないということか。神社や寺院の多さは言わずもがなである。


建長寺では建築資材としての木が時間を重ねることによって持つ美しさに見惚れた。あの独特な黒色に吸い込まれそうになる。


■最後に逗子に出てバスに乗って葉山にある神奈川県立美術館に行く。海を望む白を基調とした美術館。何か思索に耽るのにぴったりの場所のように思えた。たまたまやっていた『シュヴァンクマイエル展』をじっくり観る。人も少なく落ちついて廻っていたが、途中、ただならぬざわめきが近づいてきて何かと思ったら、観光バスに乗ってやってきたおばさん連中だった。びっくりがっくりしたが、まるで嵐のようにさっと去っていった。シュヴァンクマイエルの欲望に忠実な創作に対する姿勢にしびれた。文字の代わりに紙やすりやブラシなどを貼り付けた「触覚の詩」のシリーズが気に入った。映像作家としてしか知らなかったので新鮮だった。