■バイトから帰宅しビールを飲みながら保坂和志『猫に時間流れる』を読み終えたところだ。つまみはソーセージ。


■少し前まで保坂和志というと「猫好きの小説家」という見方をしていて、読む気が起きなかった。それは僕が特別猫が好きじゃないから、ではなくて、猫好きを喜ばせるための小説だと思っていたからだ。僕は今までに動物を飼ったことがない。かといって特に嫌いでもない。というかむしろ好きでずっと眺めていても苦にならないし撫でるのも好きだ。時々、犬や猫に触れる機会がある。生物上の違いからなのか、どうしても心の中では身構えてしまう自分がいて、撫でてやるのは嬉しいし気持ちいいのだけれど、どこかで壁というか隔たりを感じる。

■なんとなく最近保坂和志の小説を読み始めたらおもしろく、夢中になっていろいろ読み漁っている。氏は「猫好きの小説家」であることには間違いないが、小説に猫が出てくるとしてもただ猫の魅力を綴っているわけではないことを知った。「他者」とのかかわりのひとつとして、または、街のつくりを語る人間以外のひとつの視点として、猫を登場させていることがわかった。


■そしてなんといっても猫のことが以前よりも気になるようになった。



■今朝、ベランダで洗濯物を干していると前の家の茂みの真ん中を割くようにしてある一本の小道にこねここねここねこ。子猫が三匹固まってじゃれ合っていた。僕は呆然となってジッと見つめて、ずっと見ていたいと思った。バイトに出掛ける前で急いでいたのだが、時間も忘れて動かずに見惚れていたのだけれど、視線が強すぎたのか二匹が僕の姿に気づきサッと茂みの中に隠れてしまった。が、一匹だけ相変わらずゴロゴロと背中を地面にこすり付けて遊んでいて、僕はそいつに愛着が沸いてしまった。遅れてそいつも僕の姿に気づき、そそくさと茂みの中に入ってしまって、それにしてものろまなところが僕に似ているなあと思ったりしているうちにだいぶ時間は経っていて、急いで出掛けることになった。そういえば、どんな色だったか柄だったかまるっきり憶えていないことに今書いていて気が付いた。それくらいに夢中だったのだろうか。今度出会うことがあったら憶えておくようにしようと思う。