メモ

小島信夫『殉教/微笑』読了。一編一編肩透かしを食らいながら読み進めた。度々現われる狂気がそのまま「狂気」として描かれずにユーモアを感じさせるところが「肩透かし」と評する所以である。戦争中の兵隊に関する短編がいくつかあるが、どれも「戦争」そのものの悲惨さだとかが描かれているわけではなく、いつの世にも存在しうる滑稽な人間どものやりとりが坦々と綴られていく。作者自身「これらは小不具者の小説だ」と語ったように、描かれる人々はなにか他者との違和感やズレを持った者ばかりなのだが、暗く重い小説にならない小島信夫独特のユーモアを含んだ書き方は刺激的であった。

■文学界10月号を購入。「2005年の坂口安吾」という特集は後回しにし、阿部・中原・青山トリオのゴダール『アワー・ミュージック』をめぐる県談で楽しみを膨らませ、池澤夏樹の「思想の道具としての日本語」という講演録を読む。その中で少し、日本語の標準語の成立について触れていて、何で標準語が必要だったかというと、それは日本全国の色々な土地の国民が集う時に意思の疎通が必要だったからで、それは軍隊すなわち戦争の時ということなのだ。なるほどなと思いぱっと思い浮かんだのは小島信夫『城壁』の一節。行軍中に追い詰められた部隊の兵隊の一人が「急に地方言葉を丸出しにして主張」(引用)する場面である。「急に地方言葉を丸出しにして主張」と敢えて書く意味があるということだ。


■思いがけなく、なんとなく読んだ池澤氏の講演録から小説の読みが深まった。得した気分だ。