ぶつくさ

昨日はあんなことを書いたけれど、僕だって「深刻」な顔をするときもある。「深刻」に考えることもある。それは必要なことだとは思う。だがしかし、何が言いたいかというと、ポーズとしての「深刻」は嫌だな、ということだ。「深刻」を装うことによって、人はそれで解決したかのような錯覚に陥り、細部を見失う可能性を多分に孕んでいる。わが国の現在の首相は事あるごとにカメラの前に現われ、「深刻」な顔を晒し、「深刻」なコメントを披露する。あれは本当に気分が悪い。なぜなら、細部について語らないからである。毎度似たり寄ったりのコメントで、ポーズであることが滲み出ている。

人を見るとき、掲げている思想よりも、細部が気になる。喋り方、手つき、服装、髪型、好きな食べ物、という外側の事柄から内側の問題まで細部に渡って人を眺め、湧き上がってくる人物像を知りたい。


さて本日も気持ちのいい晴れの日でありました。昼間はTシャツ1枚で充分だし。夜も寒さで震えることもありません。裸足でベランダに出て洗濯物を干していたら気持ち良くなってしばらく佇んで本を読んだり珈琲を飲んだりしました。
こんなことを書くとさわやかさんみたいでなんだか抵抗したくなりますね。

バイト後またまた古本。中上健次『全発言』、『重力の都』、柄谷行人『批評とポストモダン』、『ダイアローグ』。早速帰ってきて中上健次『全発言』内の深沢七郎との対談を読んだ。すこぶる面白い。主に死ぬことについて話していてるんだけど、深沢さん「庭に柳を植えたい。」と申す、なぜかって「幽霊になって出るときに具合が良いから」だって!
最高。