■先の土日はひさしぶりに連休をとって、静岡の妻の実家に行ってきた。行きの高速バスの車内でipodをを取り出したら、イヤホンの耳に入れる部分のやわらかいのが片方だけなくて落ち込む。あれ失くしやすいよなあ。無理して耳にイヤホンを詰めてTBSラジオ「LIFE」の「小沢健二とその時代」を聴く。妻の実家では昼ビール、昼寝、夜御馳走、酒、充実ののんびりとした時間を過ごしたわけだけれど、メインとなったのは「筍掘り」の時間であった。お義父さん自慢の山に入り、斜面でひたすら「掘る」という作業は三回目。まだまだ戦力にはならないのだけれど、丹念に周りの土をかき出していき、当たりをつけ筍の根本にザクッと鍬を入れうまく収穫できたときの快感はやるごとに増すばかりだ。その一連の動き、そしてお茶と菓子パンと果物と煙草で一服する時間、今の私の日常にはない時間だからか、それとも本質的に自分に合っているからかわからないけれども、とにかくものすごく楽しい。でも現場ではもっともっとという気持ちとは裏腹に鍬も足もどんどん重くなっていく。人間は体力を消耗する。そんなこともおもしろく楽しく感じることができる。食卓にはすぐ近くでとれたものがならぶ。ひとつひとつ口に入れるたびちゃんと味わって食べようと思う。あたりまえのことだけれど、そういうことを忘れていたりする。ウドが東京で食べるのとは全然見た目も違って味が濃くておいしかった。

■妻の従姉の子供になんで髪伸ばしてるの?前みたいに坊主のほうが似合っていると言われたりして困惑。子供は正直だからな。そして1歳8ヶ月の甥っ子とたくさん遊びふれあいたかったのになかなか近づいてくれないもどかしさを味わう。しかしその自由なふるまいを見ていると肩の力が抜けて瑞々しい気持ちになり目が離せなくなる。