■昨日の日曜日は日曜市であった。予報では暖かいということだったが野外の日陰に立っているとまだ肌寒く、マフラーを巻いていた。それでも気分はもう無理やりに春だから、ビールは二杯飲む。たくさん売りたいから。ちょっとしたセールストークだってする。ねこの本をまとめて持っていったら期待通り売れた。絵本は一時期のように飛ぶように売れなくなった。どういう変化だろう。付値がすこし高いのだろうか。季節のせいだろうか。いろいろと考える。高尾のMさんがやってきて、Mさんが反応してくれるだろうとおもって仕入れた本をやはり買ってくれて、よかった。毎月日曜市に参加しているとよく来てくれるお客さんがいて、その人の顔を思い浮かべながら仕入れるということが楽しくおもしろい。


■夜は私の誕生日をKと実家の面々が祝ってくれるというので中華を食べに行った。紹興酒を飲む。水餃子がなかったのは悔しすぎるけれど、いつになくたくさん注文したらふく食う。途中親戚の家に電話をかける。

■今日はもう暖かくて、無理やりな気持ちも必要なく、春だった。だからというわけもなきにしもあらずで、早起きをしてWBCだって観る。清原の解説は当たり前のことか精神論でまだまだという感じで聞いていてもどかしかった。野球を観るともうそれだけで寒い季節はどこかにいってしまう。

■おそるおそる、ひさしぶりにヒートテックのタイツなしで外出。勤務休憩は薄い緑のカーディガンを羽織っただけで外を歩く。焼きそばを食べる。


■「現代詩手帖」と「ユリイカ」が古本屋に百円であったらまず買うことになるだろう。仕入れではなく自分用になんとなく。熱心に読むことは少ないのだけれど。今日はユリイカの「ベンヤミン特集」が百円であったから買う。電車のなかで目次を見れば、「松本圭二」の名が。やった!と声に出さずつぶやく。読む。詩人は「一篇の口ずさむべき詩をものにする」のではなく、詩集という「文字によって構成された完璧な書物」を作ることこそが「本質的な仕事」だという。そして物への執着、物質愛を語っていて、また電子マネーについても違和感をあらわにしている。うんうんとうなずいて読む。ケータイでピッですべてを行う時代がたぶんすぐそこにあるんだろう(おおげさか?)けど、そんなことまったく興味がないしつまらないと私は思っている。現金を持つのだ。一円玉は軽い。五百円玉は重い。一億円は持ったことないけど、きっと重いのだろうし、ポケットには入るまい。本を買う。本棚が埋まり、床に積み高くなり、身動きできるスペースが減っていく。そういうことなのだ。小銭をじゃらじゃらさせて「おっ、ちょうどある!」とか「あっ、一円足りねえや!」という悦びと悲しみが永遠であるといい。

■でも最近、駅の自動販売機にSuicaかざして水買っているのは私だ。