■画面左に「点取り占い」を導入したのだが、今さっき「8点 本を読むのが好きだ」というのが出てハッとした。


■金曜夜、暑くて眠れずゴロゴロしているうちに携帯アラームがなって起きたのは2時間後の午前5時半。シャワーを浴びようとするも水が出ず困惑しつつも、バスタブに残っていた水でなんとか凌ぐ。断水するなんて聞いていないよとパニック気味の朝。喪服を着ていざ早朝の東京駅へ。3連休の初日のひかり号は思ったより混んでいて、みなもぐもぐと何か食べていた。起きてから何も食べていない私はとにかく目をつむるだけで眠れず。静岡にてKの祖父の四十九日に参列したのだった。


興津駅から寺まで車で送ってもらう。男たちの白いシャツがまぶしい。一度だけ、ちょっとだけ、会ったことがあった亡くなったおじいさんをじっくりと思い出して手を合わせ焼香をあげた。途中でお経を止め歩き出す自由気ままな坊さんがおかしかった。かんかん照りのなか納骨。汗が出る。しかしいやな感じがしない。アスファルトとビルに囲まれかく汗とはやはり違う。庭先に集まり冷たいお茶を飲み、揚げ饅頭を食べるという幸福な小休止を挟み、マイクロバスで宴へ。ビールをたくさん飲む。子供たちに遊ばれる。


■そんなこんなが終わるとKの実家に戻り、しばし昼寝。ということになりそうなものだが、やることは行くとこは山ほどある。ということで、おじさんに連れられわさび田へ。ビーチサンダルで中に入るとそこは楽園。「避暑」という言葉を身をもって感じる。収穫の手伝いをしたのはもちろんのこと、田んぼの水に直接口つけて飲んだりしたり、なかなか得がたい体験をさせてもらった。

■そして、次は川へ。最初は足だけ入ろうかなと思っていたものの、半ズボンのなかのパンツはちゃっかり脱いでやってきた私はやはり泳いだり潜ったりすることとなった。水があり、魚がいて、橋があり、草が茂り、岩があり、陽が照りつける。条件は整いすぎていた。いつだって最初に全身を水に沈める瞬間は好きだ。「沈める」とはつまり「鎮める」ということでもある。小さいころから、水に潜っているあいだは外界がシャットアウトされ、ほんとうに一人になったような孤独感もあるが落ち着くような、なんともいえない感覚に襲われる。しかし浅い川での背泳ぎは要注意。岩にぶつかり背中に傷を負った。


■川からあがったあとはすぐちかくの家で宴。そのロケーション、川の水が流れる音と虫の鳴く音、戸を開け放し風が通る広間で、大量の自家製の枝豆、自家製の梅酒などなど、いろいろな自家製に感嘆しつつ、親戚の皆さんと雑談。最も驚いた「自家製」はマムシ酒で、それは煤けた壜の中に入っていて、よくみると底には蛇がとぐろを巻いているといった代物で、もちろん飲んではいない。それを眺め、蓋を開け、匂いを嗅いでみるというささやかながら実際は強烈なイベントもなにもかも楽しく、Kの親戚の方々にはよくしてもらいうれしかった。

■そして夜、新幹線で帰ってくる。日帰りだったものの濃密な一日で何泊かしてきたかのようだった。すっかり夏休み気分。