■Kが今不在で、そうすると、トイレのドアを開けっ放しにして用を足したり、オールレーズンをムシャムシャすごい勢いで食ったりする。


■最近はなにをしていたろうと考えると思い浮かぶのはやはり私の休日木曜日(と日曜)のことだろう。一昨日の。朝10時を入場をねらって出かけた先は、国分寺から西武線を乗り継ぐも意外と近い所沢で開催中の「彩の国古本まつり」であった。10時を30分ほど過ぎて駅に到着しはやる気持ちを抑えつつ早足で現場へと向うと扉が開いていないではないかと思うと前方に中に入ろうとしていたおじいさんが中の人間の「11時からです」という言葉とともにはね返されていた。チラシを見ると11時とちゃんと書いてある。10時きっかりに来なくてよかったーという思いを胸に余裕のコーヒーブレイクをもうける。開場と同時に入場。ひとがうまい具合に散らばっているのがおもしろい。誰もいないところを見つけて駆けつけ物色。それを何回か繰り返した後、端から順番に丹念に見ていく。3時間ほどいてぐったり疲れる。以前は棚と棚のあいだに椅子が並べられているコーナーがあり、そこにたくさんの老人たちが座っていて、病院の待合室さながらの空気が漂っていた(それはとても奇妙だが微笑ましい光景だった)が、椅子はなくなってさらに本を陳列するスペースが拡大していて、私は隣の杖をつく老人を心配したものだが、本を見る目は集中してキラキラと光っていて立つ姿勢が揺らぐ気配は微塵も見せなかった。大き目のトートバック一杯の本を抱えて帰る道、考えていたのはその夜の我が家での宴だった。ひさしぶりの3人の来客を迎えるためいったん本を家に置き、手が千切れそうになるくらいビールを買ったが、飲みだすとあっという間になくなったのはまあ予想通りであった。小沢健二の貴重なビデオ、スクラップなどを見つつ歓談しそれから岸野雄一のDVDを披露したりして最後はカレーでしめ。みやげもたくさん持ってきてもらってありがたい。楽しかった。しかし、皆を見送ったあとソファ寝してたらメガネを下敷きにしてしまい変な風に曲がってしまった。一応かけてみたけどやっぱり変だった。かなしい。


■最近、宮沢章夫『80年代地下文化論講義』を読んでいたら出てきた大島渚『日本の夜と霧』を観た。過剰に政治的であり、それがかえってユーモアになっているようにも思えた。というのは怒られるのだろうか?誰に?大島渚はたくさん観ていないが、私はいまのところ『日本春歌考』が一番好きだ。それは荒木一郎が出演していることが大きいのかもしれないが…。他の作品も観てみよう。