awayama2007-10-11

■久しぶりに保坂和志のホームページに赴き、雑文、対談などいろいろを読む。『プレーンソング』をまた読もうと思っている。


■月曜日に祖父が倒れたとの連絡があり悶々としていた。今朝、自転車で府中病院へお見舞いに行く。ベットで管をつながれ苦しそうに横たわっていて私が来るなり声を発したがうまく発声できていなくてなにを言っているのかわからなかった。伝えたい気持ちがあるのに伝えられないという状態は非常につらいだろう。握手をして病室から出る。



■午後、小金井公園へ。自転車で行く。途中、金木犀の香り。


■広場の傍らにあるテーブルで缶ビールと団子と海苔巻きとおにぎり。


■最近、野呂邦暢『猟銃』集英社収録の短編をいくつか読んでその男と女の冷めたやりとりの味わいは小島信夫の『抱擁家族』に似ているなと思ったのだが、「抱擁家族」は描かれる家族の有り様がユーモラスに感じられるところが良くて、野呂邦暢のほうはそのようなおかしさはあまり感じられずじんわりと哀しみが残った。両方とも私はおもしろく読んだわけだが、自分がおもしろいと感じるのはどういう原因があるのか自分のことながらつかめていない。私がおもしろいと感じるもの、つまらないと感じるもの、この二つは確実に存在するのだが一体何が理由で分けられるのか。こういうことを考えるときに、これこういうものはおもしろい、これこういうものはつまらない、という言い方はできない。これはこうだからおもしろい。あれはあれだからつまらない。と、個別に考えるしかないのだ。


■エンタクシー連載の草森紳一「ベーコンの永代橋」はその三段組にびっしりと詰め込まれた細かい字に圧倒されていつの間にか読まなくなっていたが、最新号のを久しぶりに読んでみたら、スラムダンク読破日記、吐血後の体力回復日記、壁打ちキャッチボール日記になっていて、文春新書『随筆 本が崩れる』の続きを読んでいるかのようなおもしろさ。