テレビ

■近頃、日記を書こうとは思うのだけれど、深酒してしまって書くのが億劫になってしまうのだった。昨夜は30時就寝。


■今朝はちょうどタモリがテレビに映し出されるころ目が覚める。朝から(昼だけど)餃子を焼いて、簡単な野菜スープとレタスチャーハンを作って食べる。

■必要な書類を役所に取りに行く。役所といっても市民施設のなかの出張所のようなところでとても暇そうだ。窓口の前に立ったら、そこにいる職員全員がやってきて辟易。なんかもっとやることないのか。

■駅前に行くと何やらいろんなものを配布するおばさんおじさんがいる。ポケットティッシュ、携帯灰皿、団扇、エコバック。エコバックが欲しい。無地の大き目のトートバックである。たくさん本を買ってリュックの中がパンパンになってしまう時に重宝するだろう。ただ僕にはくれそうにない。毎日スーパーマーケットでせっせと買い物をする主婦たちをターゲットにしているようなのだ。一応配っているおじさんの近くを通ってみるとやっぱりくれそうに無い、仕方ないなとあきらめずに戻って「ください」と一言。「どうぞどうぞ」とすんなりくれる。それをリュックに忍ばせ、今日は本を買おう、と思う。

■で、実際買う。先ずは国立ブックで谷川俊太郎和田誠『ナンセンス・カタログ』ちくま文庫105円。吉祥寺、F書店で南原実・訳『クレーの日記』新潮社1000円(お買い得!)、Y屋でブコウスキー『ありきたりの狂気の物語』新潮文庫100円。荻窪S書店で荒川洋治『忘れられる過去』みすず書房1050円(みすずの本を買うとある種の興奮を味わうことになる)。三鷹S堂で田村隆一『退屈夢想庵』新潮社525円(日記!)。これらの本を貰ったエコバックに入れて、その幸福な重みを感じながら歩く。


■今日家から持って出た本は小笠原鳥類『テレビ』。僕が初めて新刊で買った記念すべき詩集。電車の中、コーヒー店で読んだ。

色素のように文字を組み合わせて、特別な画面を作ろうと思った。言葉の群である、特別な効果の画面は、詩と呼ばれるものだろうか。

と、作者は略歴に記している。なるほど、ページを開くと、改行のない文章が延々と続いていて、余白が額縁となりその中を文字の群で四角く塗られているように見える。もちろん白い紙に黒い文字が印刷されているのだが、色彩は豊かだ。「筋肉」「ゼリー」「水族館」「テーブル」「テレビ」「麺」「お菓子」「カラー」「海老」「緑色塩味」「軟体動物」「音楽」「グラフ」「クラゲ」。これらは今ぱっとページを開いたところで目に付いた言葉たちだ。一行一行を上から下へと順々に読んでいくのではなく、ぱっと開いて「面」として捉える。それは「画面」だ。「テレビ」だ。
そしてもちろん最初の行から最後の行まで読む。これはやっぱり詩だから。
ざる蕎麦を食べている時のようだった。するすると吸い込む心地は瑞々しく、咀嚼すると深い独特の香りと滋味がして甘美な感覚に包まれた。

■まだまだ詩に関しては(何に関しても)不勉強だけれど、これまで僕が「見て」きた詩は言葉の切り方とか、行間の空け方、行の最初の文字のずらし方、つまり余白の空け方で視覚的な効果をあげているように感じていたのだけれど、小笠原鳥類氏はまったく逆に文字を埋め尽くすことで視覚的な効果をあげていて、とても刺激的で面白く、僕の目には新鮮に映ったのでした。作品を読むことができる氏のサイトはこちら

■今夜は外で飲んだもののめずらしく(!)終電より前の電車に乗る。