気が滅入る朝
■気が滅入る朝だった。それはとても些細なことだったが気が滅入るには充分な出来事だった。「納豆が手に乗る」。こんな朝はたとえ日曜日でいい天気であろうとも気が滅入ることは必死だ。よそ見をしながら納豆を勢い良く掻き混ぜていたらバランスを崩し納豆がこぼれそうになるところを手の平で受けたのだった。なんともいえない感触だった。そういえば納豆を手で掴んだのは初めてではなかったか。それなら、「初めてのことをした朝」でも良かったではないか。いやいや、なんといっても手の平についた納豆の匂いを思い出すにつけ、「気が滅入る朝」ということになるのだ。それにしても、「何かが手に乗る」という言葉を考えた時、当たり前のことだがそれはその何かがとても重要だ。「小鳥が手に乗る」。なんともほのぼのした気分になる。気持ちがいい。「おっぱいが手に乗る」。うれしい。「相撲取りが手に乗る」。重たい。「自分が手に乗る」。なんだか恥ずかしい。「納豆が手に乗る」。気が滅入る…。
■毎朝納豆を食べている。