一昨日、昨日、今日

■日記の更新が2日空くのはたぶん初めてで、特に何か理由があったのかといえばなくて、なんとなくと云うほかにない。しかし、昨日、一昨日と早く床についた。


■日曜日は早起きをして、試合の一時間前に神宮球場の最寄り駅である千駄ヶ谷の駅に着くように出掛けた。それくらい楽しみにしていた弟の野球部の試合は、曇り空の下、しかし鈍く暑い日光を感じて汗がにじんだが、そんなことは気にならぬ熱心さで馴れない人工芝の上を翔ける坊主頭たちを見守った。弟はレギュラーの背番号をもらったのだがこの試合はベンチスタート。まるで本人のようにため息をつく。ビールの売り子が何度も前を横切り、チアガールがすぐ近くで健気に踊っているものの、試合が始まると気に留める余裕もない。ただただ勝利を祈るばかりだ。僕がこんなに「応援」というものにのめり込むとは我ながら不思議でならない。ただ彼にとっては最後の夏で、これで負けたら次はない。つまり、「応援」も最後ということになるもんだから、熱がこもる。
で、結果は負けだったが、弟は途中出場をしチーム唯一の得点である先制のタイムリーヒットを放ったので、悔しさも半分あったが、なんとなく晴々とした気持ちで球場をあとにした。そしてなによりも、普段会うとぬぼーっとしているあいつがヒットを放った後、感情をむき出しにしてガッツポーズをしているのを観れたのが良かった。今度からかってやろうと思うのだ。


■馴れぬ早起きと暑さのせいかへとへとになりながらも、やっぱり恒例の古本屋。荻窪に出て蕎麦をかきこみS書店へ。金井美恵子『遊興一匹・迷い猫あずかっています』、荒木経惟『愛しのチロ』、洲之内徹『絵の中の散歩』を購入。移動の電車の中、朦朧とした頭にハッとした一節を『絵の中の散歩』のあとがきに見つける。

この頃私は、絵を見れば絵がますます面白く、本を読めばどの本もみな面白く、女の人に会えばどの人も美しく、可愛らしく、まことに仕合せな心境に在る。

なんとも羨ましい。これは、しかし、世界中のあらゆる本が面白いのだという意味ではなく、「私が選んだ本が面白いのだ」という目利きの自信が仄めかされているようでなんともかっこいい。
■そういえば、彼は好きな絵を手に入れると枕元に立て掛け一緒に眠るという特異な趣味がある。

■そして三鷹のS堂へ。ここでも金井美恵子の『道化師の恋』を、そして探していた谷川俊太郎佐野洋子『女に』をみつけてドキリ。これ、ネットで検索してもあまり出てこなくて出てきてもすごく高値が付いているので、自分でみつけてやろうと思っていたけれど、最近はほとんどそんなこと忘れていた。そういう時にみつかる。そういうものなのだと思う。実はこれ、ある知人の方が、欲しいけどないんだ、ということを云っていたので差し上げようと思っている。

■何かお探しの本があったら僕に云っておいて損はないと思いますよ。皆さん。そのためにわざわざ探しに出掛けることはしませんけど、年中古本屋に入り浸っていますから。もしかしたらあなたがお探しのその本、僕は何度も目撃しているかもしれません。


■それから国立の小さい古本屋(名前忘れた)で激安の文庫の山のなかに埋もれていた金井美恵子(また!)『あかるい部屋のなかで』を買う。福武文庫版は初めて見たなあ。めずらしいんじゃなかろうか。

■で、夜はビール、ビール、ビールに溺れながら、録画した昼間の試合をもう一度反芻し、悔しさを麦酒の泡とともに膨らました。


■昨日は、自分の歳を無意識に2歳サバを読んでいたのを指摘されどぎまぎした日だった。ボケが始まってきたようだ。


■今日は台風に翻弄。バイトに向かう間にびしょ濡れになるのを想定して、替えのズボンを持っていったら、案の定濡れて張り付く長ズボンが気持ち悪かったので替えの半ズボンに着替えたら店長に、最初から半ズボンで来れば良かったじゃん、と言われなるほどとひとつ学習した一日だった。

■サッと保坂和志『プレーンソング』を一気に読了。主人公の「ぼく」のキャラクターが直接は描かれておらず、周りの人物との対話では基本的には聞き役に徹していて、そこにこの小説の品の良さみたいなものを感じた。劇的な物語などなく、他愛もない日常を切り取ったものなので印象に残る場面もないのだが、サッと過ぎ去って、消え入りそうな読後感にはならず、まだまだ自分の中では続いてる感じがしている。「終わりなき日常」なんて言葉が浮かぶ。で、これ90年に発表された作品なんだけれども、まさにそんな感じなんだよな。