私小説的

昨日の日記織田作之助の『世相』を自伝的な小説だと紹介したが、それはちょっと違うなと思う。「私小説的」のほうがしっくりくる。で、昨日引用した一節。あれはこの日記で僕が懲りずに毎度買った本を丁寧に挙げる理由なのかと思った。

■細部に神が宿る。


■昨日はうとうとしながら書いていた。今日もうとうとしている。まだ午前3時前。早く眠れるようになってきたようだ。とは云うもののこれは酒のせいではなかろうか。ここのところ暑さにやられ、ビールを飲むペースが速くなり、量も増えているからだ。今日は帰り道に飲んできた。海ぶどうを初めて食べたが特に感慨はなし。


■遠くのほうを見つめていると、次々に兎のお面を被った人間たちがこちらに向かってやってくる。近づくにつれて彼らの足は地面を離れ、ゆっくりと飛翔する。僕の顔面をかすめていく。時々つま先がおでこに当たりそうになり、必死で避けようとするが体が固まり動かない。仕方ないので僕は無防備におでこを蹴られる。血が滴る。口に入る。血の味はケチャップだ。僕は途方に暮れる。段々と蹴られるにも馴れてくると、そういえば痛みがないことに気づく。痛みとは何だろうと思う。考える。僕は「痛み」を感じたことがあるのだろうかと疑い始める。と同時に僕は僕を眺めていることに気づく。浮いている。兎のお面を被った人間たちのひとりになっている。そして僕は僕の血だらけのおでこをコツンと蹴る。蹴られた僕は蹴った僕をじろりと睨む。その容貌は我ながらとても恐ろしい。