文芸誌

■「飲み」のお誘いのメールと断りのメールが同時にやってきた。せっせと携帯をいじくる。中央線の中、こんがらがってしまう。とにかく夏だしこれからたくさん飲むんだきっと。

■年中酒を飲んでいる。飲まない日は月に一度あるかないか。二日続けて飲まないことなんて最近あっただろうか。思い出せない。しかし決して強いほうではない。すぐに酔っ払う。調子に乗る。暗くなることはあまりない。が、記憶をなくす。


■バイト後予定がないと、大体において、遅くまでやっている古本屋に行き、漁り、拾い、家に着くやいなや缶ビールの栓を開け、傾け、咽喉を潤す。そして、数多くある読みかけの本の中から一冊を手に取り、開き、めくる。時には夜食を作る。チャーハンばかり。今日は薄皮つぶあんぱん。途中から酒は日本酒に変わり夜も更け書物に溺れる。気が付くと外は朝。慌てて風呂に入り日記をつけ、目を瞑る。

■「新潮」「文学界」「群像」それぞれ最新号を買う。新潮は保坂和志福田和也の対談、大竹伸朗の連載。文学界は高橋源一郎の連載。群像は…。何で買ったんだ。あ、宮沢章夫さんのコラムが載ってる。氏のサイトの日記は僕の一番の「お気に入り」だ。そうだ、高橋源一郎山田詠美の二人が中原昌也をかわいがっているのがよくわかる三人の座談会は面白かった。僕も好き「中原くん」。ライブやんないかな。佐々木敦さん主催のアップリンクのイベントでの演奏に感激したんだよなあ。ひたすら電子音と戯れる姿が音楽というか演奏することへの愛情をむき出しに見せられた気がして興奮した夜だった。話してることもすごく真っ当でイメージって恐いなと思った。彼はサブカルの代表なんかじゃない。文章も好き。それこそ昨日言及したベケットに通ずるものがある。いつもにやにやしながら読んでしまう。

■それにしても文芸誌、毎月のように買っているものの、読むときもあれば、全然読まないこともある。半分惰性で買っているようなものだ。大体がそのうち本になるのだから、文芸誌を買うことの意味といったら、その時、つまり発表されたてほやほやの作品を読むことができるということだ。それがこのところできていない。まあもちろん書籍化されないものもあるから、それはそれで貴重な資料になるのかも知れないけれど。
群像の創作合評を楽しむくらいしか読めてないよ。つまりはそれぞれの巻頭作品。半分以下の以下。

■今月は沢木耕太郎大江健三郎石原慎太郎。きついなあ(笑)。三人名前が似てる。字面そっくり。「郎トリオ」。


■帰り道、荻窪ブックでJ・ケルアック『路上』、川崎長太郎『抹香町/路傍』。後者は講談社文芸文庫。この人に関しても坪内さんの本で興味を持つ。

川崎長太郎・1901〜1985
元祖・清貧の人。四十五歳にして、電気も水道もない二畳足らずの物置小屋に暮らし、ビール箱を机代わりに原稿執筆。「私小説一筋、半世紀の精進」が認められて菊池寛賞を受賞したのは七十七歳の時。代表作は連作『抹香町』。

坪内祐三『古くさいぞ私は』より。


■今日は人の名前をたくさん書いてしまった。キーワードリンクでここにやってきてがっかりさせてしまうんだろうな。