■妻と娘が実家から我が家に帰ってきて六日目の夕方。

■ふたりはリビングのじゅうたんの上で眠ってしまって、それを眺めつつこれを書いている。なんだか不思議な気分だ。夢にも思ってなかった、わけではないけれど、現実に私の娘がいるという事実についついグッときてしまう。最近は深夜の仕事が続いていて、帰ってくるのが午前三時とかになる。ひっそりと音をたてないように風呂に入り、また晩酌などやって、寝室のふすまをスッと開けるとふたりともスヤスヤ寝ており、しばし見つめてしまう。

■夜、寝入ったらもうほとんど朝まで起きないのはほんとうにたすかるのだけれど、もちろん、普段はおおいに泣く。それでいろんなことが中断したりして、気が気でないのだけれど、そんなことどうでもいいと思えるほどのかわいさがやっぱりあるもので、笑ったときの歓びはもうなんというか計り知れない。泣いているときだってそれはそれでエネルギーを発散しているのを感じられ気持ちよくもあったりする。こういうのを親バカとでも言うんだろうけど、まあ許してほしい(誰に?)。娘のことを想うと、純粋に奉仕の気持ちになれる。なんか恋をしているときにも似たような感じになったような気がするのだけれど、ちょっと違うんだよな、なんなんだろうこれは初めての気持ちだ。

■生まれて三ヶ月でやっと一緒に暮らすことになったので、それまでの日々を取り返すようにかわいがってやる。

■いつだったか、あんた「伝染るんです。」に出てたでしょ、と娘にむかって妻が言っていて笑った。吉田戦車も赤ちゃんいるんだよなー。「まんが親」読みたいな。ということで、単純だけれど、最近は娘がいるひとの書くものを読みたくなっている。田中小実昌島尾伸三大竹伸朗湯浅学横尾忠則…。


■帰ってくる前日に桃とチューリップとカスミソウを家に飾った。買って帰る道で知人に会い気恥ずかしかった。やっと花ひらいてきた。

■春めきが感じられる日。最近は夜勤が続いているので、昼間は家にいて、妻と娘をむかえる準備としての掃除洗濯に邁進する日々をおくっている。せっかく五時台には起きる朝型生活になれてきたのに、まるで逆の朝方寝る生活となってしまったとがっかりしていたものの、寝ていても、陽光が感じられるとふと目を覚まし起きて、そのまま昼間はいろいろとできるので、一日が長くなったようで、これもまた、いいものである。一日の終わりに仕事をする。仕事がおまけのような毎日だ。


■酒の量が減る。昼間ろくに寝ない日が多いものだから、結局すぐに眠くなってしまうのだ。まあ一杯はやるけれども。

■昨日、娘が生まれて百日目をむかえた。元気に育ってくれてなにより。そしてあさって妻と娘が実家からわが家に戻ってくる。いろいろやりたいことを妄想しているのだけれど、はしゃぎすぎないようにしよう。

■昨夜は現場仕事が夜勤で帰ってきたのは午前3時すぎ。冷えたからだを風呂に入り温めたら、眠くなり寝た。そう、酒を飲まずに一日を終えたのはいつぶりだろうとおもう。

■先日、新宿で、10年来の友人と、いつもは飲みに行くことになるのに、たまには酒なしで会ってみようということになった。呑み屋に行かないとなるとどこにいこうかと考えれば、それはもうカレー屋しかないじゃないかと、気になっていた御苑近くの店へ。カレーを注文して待つあいだ、ふとメニュを見れば、レーベンブロイの文字が目に入りふたりとも我慢できずにオーダー。カレーを食べ終え店を出て、しかしまだ酒なし(もう違うけど)をあきらめないぞと喫茶店に行き、コーヒーをすすり話をするも、なにかがおかしいやっぱりちがう、なんかもったりするなー冷たいものが飲みたいなーなどと言い訳をして生ビールを飲みに行ったのだった…。妙になまぬるい空気がただよっていた春めきを感じた夜。


■のんきな、無邪気な、音楽が最近いいなとおもうのはなぜだろうか。むかしからかもしれないけれど。とくにそういうものが感じられる音楽にグッときてしまう。そういう気分を欲しているのだろうか。mmmを毎日毎日聴いている。合間にNRQや三輪二郎など。そんなこと書いていたら、ジョナサンリッチマン聴きたくなってきたな。

■GARAGEという近所のお店に二日連続で行ったのです。器と古道具が置いてある。店主のOさんは隣家の宴でよくご一緒する飲み仲間。土曜にひさしぶりにおじゃまをし、世間話をしつつ良いのがないかと最近探していたおおきな湯呑みを購入。わたしは毎朝、まず起きるとポットで湯を沸かし日本茶を淹れるのです。現場仕事の日はたっぷり水筒に入れて持っていくのです。今日はキッチンのテーブルにパソコン置いてWEBSHOPの作業をしている、その合間にこれを書いているわけだけれど、かたわらに水筒を置いて、あたらしく買った湯呑みにそそいで飲んでいます。

■そしてその湯呑みを買ったときに気になった良い感じにぼろい麺台があったのです。帰ってきてから、やっぱり取っておいてくださいと電話を入れ、次の日、取りに行ったのです。ひとり酒を飲むとき、客人が来て宴を囲むとき、家族で食事をするとき、椅子とテーブルの気分じゃないの時があるでしょう。そんなときは床にあぐらかいてこれに酒やらポテトサラダやらコロッケやらのせればいい。お茶とポンカン(毎日食べている)、これもいい。

■昼間、窓を開け放して掃除をして気持ちよくなったところで、畳の上であぐらをかいてポテトサラダを食パンに挟んだのを昼食とし、島尾伸三の「生活」を読み終えたのだった。島尾伸三の文章をちゃんと読むのは初めてで、ふしぎな味わいというか、遠くから弓を射るようで、最初は戸惑ったものの徐々にしっくりきて、大切なことが語られているのがひしひしと感じられた。そして写真に付されているキャプションがすごくいい。「遊ぶ毎日/ぬくもりは無造作に放り出されていて、」「ピエロとプリズム/小さな宝がそこかしこに、」


■夜、20時から今(23時半)までずっとTBSラジオを聴いている。「菊地成孔の粋な夜電波」は川勝正幸追悼特集で2時間全編音楽にのせて各所から寄せられた追悼文を朗読するだけの内容で、これがすごく贅沢な感じがしてすごくよかった。そして今、続く番組「Dig」でも追悼特集。宮沢章夫、スチャダラ、吉田豪らがゲストでワイワイとにぎやかに思い出話を語り合っていてこれもまたいい雰囲気だ。

川勝正幸とは個人的に面識はないけれど、今回の訃報はすごく驚き、ショックだった。まだまだ私たちに必要な言葉を、知性を、知識を、持っていたはずで、もっと著作を読みたかった。何度か見かけたことがあって、最後は、去年の10月に遊園地再生事業団の「トータル・リビング」を観に行った時、通路を挟んで隣に座っていて、開演中、高らかに声をあげて笑っていたのが印象に残っている。肩の力の抜けたかっこいいおっさんだなあ、あらためて、このひとは本物の粋人だなと思った。もうひとつ印象に残っているのは、小林信彦の著書「コラムは踊る」を読むと、キネマ旬報のコラムをまとめたこの本の78年の「下町脱出願望のドラマ・サタデー・ナイト・フィーバー」の回の冒頭、「調布市川勝正幸さん、〈近田春夫とハルヲフォン〉のカセットテープ、拝受しました。ありがとうございました。」とあるのだ。やるなあ川勝正幸!と痛快な気分。冥福を祈る。

生活―照片雑文 (照片雑文 (〔2〕))

生活―照片雑文 (照片雑文 (〔2〕))

■二月である。あっという間といえばあっという間ではあるが、まあとにかく早く暖かくなってくれよという心境で日々生活している。我が家は木造平屋でとにかく寒い。しかも最近は早朝まだ暗いころに起きるのでもうたまらないのである。そしてひとりの生活。やはり人がいると違うとおもう。今日は石油ファンヒーターで挟み撃ちしてみたら、さすがにあたたかかった。


■いろんなことを考える。それで楽しくなったり、落ち込んだりもする。また、奮い立ったりももちろんする。とにかくひとりでいると考える時間が多くなる。ある意味貴重な日々だが、考えているだけではやはり内にこもりがちになっていくのでいけない。料理(というほどのものではないけれど…)をしているときは余計なことを考えることがない。食材を切ったり、茹でたり、つぶしたり、味付けをしたり、その作業に没頭していつのまにかからっぽになって気持ちいい。今日は大量にポテトサラダを作りながら、これからこれをつまんでビールを飲む時間のことを考えていたら、楽しくなって、最中にビールを開けてしまった。なんかこういうのんきなかんじを妻と娘と一緒に楽しめたらなあ…とか考えるとうれしくなってきてしまう。もちろん、そんなの甘い、ということもわかっている。いつもそんな気ではいられない。けれど、「のんき」はつねに持ち続けていたいものです。今日聴いていたmmmの「マジカル・オムニブス号」という曲がそんな気分を盛り上げていたりするのかもしれません。

■この世界で、私のまわりで、いろいろなことが起こる。悩みはつきない。それはそれで仕方のないことだし、当たり前のこと。けれど深刻になってはいけない。つねにのんきに粋にいきたいものです。

■今日はたまっていた洗濯物を片付けた。

■ひさしぶりの更新になってしまった。


■11月15日に無事娘が生まれ(妻Kもなんとか無事に)、職が変わり、あわただしく、あっというまに大晦日を迎えている。

■妻の実家で甥、姪、娘、こどもたちにかこまれにぎやかな空間でこれを書いている。不思議な気分だ。彼らがいつものようにちょっかいを出してこないで遠くからみつめてくるだけなのがおかしい。あのおじさんなにか真面目な顔をしているから近づかないでおこうという風だ。

■今年はいろんなことがあったと記すのはあまりにも凡庸だけれど、ふかい実感をもってそうおもう。

■来年は今年の変化にともない生活が変わるだろう。ひとつの季節が終わりひとつの季節がはじまる。楽しもう。楽しいにちがいない。そんな日々をこの「夏休民話」に書いていけたらとおもう。来年はもうすこし頻繁に書けるだろうか。

■よいお年を。来年もよろしくおねがいします。